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あとがき愛読党ブログ

本文まで読んでいることを保証するものではありません

あとがき10 あとがきを信じるな!?: 網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社、1978年)

このブログのあとがき愛読もようやく10回目。それを記念し、今年没後10年の網野善彦を取り上げたいと思う*1

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))

 

 「作家の言葉を信じるな」という金言を耳にした。

曰く、作品を研究するにあたり、作家自身の言葉に振り回されすぎるな、ということらしい。
その好例が近世洋画の祖、司馬江漢だろう。
彼は、長崎にてオランダ人イサーク・ティチングから画帖を送られ、それで西洋画をマスターしたと自ら称しており、一昔前の辞典類に「江漢はオランダ人から洋画を学んだ」と記載されていたのもこれが根拠だったという。
しかし研究者らがよく調べたところ、そのオランダ人が滞日時期と江漢が長崎に行った時期はまったくかぶっていないことが分かった。
要は法螺だったらしい。
また江漢の没年齢には2説あった。それも何かの誤記とは思えないほどの差があった。
それも様々な史料から検討したところ、本人がある時から(なぜか…)実年齢に9歳プラスしたものを使っていたのが原因だったことが判明した。
このように、江漢の自分語りはかなりアテにならないらしい(以上、成瀬不二雄『司馬江漢 生涯と画業』より)。

司馬江漢 生涯と画業―本文篇

司馬江漢 生涯と画業―本文篇

 

 

また横溝正史獄門島』初版には本人のあとがきが付いていたが、
そのなかで、連載中、妻のひとことで犯人を急遽変更したぜウッシッシ、というおどけたエピソードが書かれており、横溝ファンには有名な話らしい。
だがもしそうだとすると[     重大なネタバレ     ]の[     重大なネタバレ     ]のシーンは[  重大なネタバレ  ]になってしまうのだが…。
これも、作家本人の言葉を一度疑ってみたほうがいいのではないだろうか。

獄門島 (角川文庫)

獄門島 (角川文庫)

 

 

さて能書きを長く書いてきたが、今回言いたいのは、かの網野善彦の代表作『無縁・公界・楽』のあとがきについてだ。初版のあとがきにはこのような記述がある。

また、すぐれたドイツ中世史家として周知の北村忠男氏から、いつも親切に御教示いただけたことも、幸いであった。私が「公界」の問題を持ち出すと、北村氏は直ちに「フライ」「フリーデ」に言及され、ヘンスラーの著書を貸して下さった。私の語学力不足と怠慢から、これを本書に十分生かしえなかったことは申しわけない次第で、おわびしなくてはならないが、一揆に話が及んだとき、「神の平和だ!」と手を拍った、北村氏のお答えは忘れられない思い出である。―1978年1月26日付『無縁・公界・楽』あとがき

 北村忠男とは当時、網野と同じ名古屋大学に勤務していたドイツ史研究者であり、「ヘンスラーの著書」とは、これより20年以上前にドイツで出版されたOrtwin Henssler, Formen des Asylrechts und ihre Verbreitung bei den Germanen, (Klostermann, 1954)である。


ヘンスラーの著書が『アジール―その歴史と諸形態』として邦訳され出版されるのは網野没後の2010年であり、当時読むためにはドイツ語版しかなかっただろう。

アジール―その歴史と諸形態

アジール―その歴史と諸形態

 

 そしてこのあとがきから判断して、網野はドイツ語ができず、ヘンスラーを読めなかったと私は思い込んでいた。

しかし、さる研究会上でそう発言したところ、懇親会の道すがらある方から
「網野はドイツ語できたよ」
との指摘を受けた。
ビックリしたものの、結局それからアルコールに流れてしまい、その根拠を聞きそびれてしまったのだが、それに該当するのはここらへんではないだろうか。

〔1955年ごろの状況を聞かれて〕
事実上、一年間は失業状態で、ドイツ語の翻訳をしたり、出版社でアルバイトをしたり、都立北園高校の非常勤教師をごくわずかやっておりましたかね。網野善彦「インタビュー 私の生き方」(『歴史としての戦後史学』、初出1997年、著作集第18巻)

歴史としての戦後史学―ある歴史家の証言 (洋泉社MC新書)

歴史としての戦後史学―ある歴史家の証言 (洋泉社MC新書)

 

 なんと、網野は翻訳をするぐらいのドイツ語力を持っていたのだ。これは旧制高校に通っていたときに身に着けたもののようだ。

旧制高校生の一種の流行で、(…)戦争中は、ニーチェヘーゲル、あるいはランケ、マイネッケ、などの古典をドイツ語や翻訳で一生懸命読んだりしていたのです。―網野善彦「戦後歴史学の五十年」(初出1996年、著作集第18巻)

東京高等学校高等科(文科)時代にブルクハルト、ヴィンデルバントジンメルマルクスエンゲルスなどをドイツ語の授業で井上正蔵という教員から教わる。―「網野善彦年譜」(著作集別巻)

網野善彦著作集〈別巻〉論文編・資料編

網野善彦著作集〈別巻〉論文編・資料編

 

 というわけで、あとがき中の「私の語学力不足」という言葉は、嘘とはいわないでも、額面通りに受け取ってはいけないことがわかる。

そうすると、網野は「怠慢」ゆえヘンスラーを本当に読まなかったのか、それとも、ヘンスラーを読みながら、読んでいないことにしたかったのか…いろいろな可能性が考えられる。しかしそれは作品自体の精読で考察せねばならないことであり、あとがき愛読党の任務ではない。

 

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以下、余談。
ヘンスラーのアジール論の要点は、聖域や王など、超越的な存在と結びつく(縁を取り結ぶことKontaktgewinnung)ことで不可侵性が獲得される、という点にある。これは実態としては、網野の「縁切り」「無縁」と結局同じ事態を指している。超越的なものとの「縁結び」と、世俗との「縁切り」は、楯の両面であろう。
網野にしても、「無縁」とするよりも、超越的な存在との「縁結び」という説明の仕方のほうが適合的な事例もあるはずだ。それでもなぜ、わざわざ「縁切り」の側面を重視するのか。それは、中世後期に自覚的に主張・表現されてくる「無縁」「公界」「楽」に、神仏・天皇に依存しない契機を見出したいからではないだろうか。
これは、『無縁・公界・楽』から後『異形の王権』(1986年)で、初めて「聖なるもの」という分析放棄的な言葉を使ってしまったことに、研究史的転回を見出す細川涼一[2011]の指摘を重なるところがあると思う。

日本中世の社会と寺社

日本中世の社会と寺社

 

 このように、ヘンスラーを補助線とすることで、網野の独自性が浮き彫りになると私は考えている。

以上あとがき愛読党の党是を踏み越えてしまったが、ご容赦いただきたい。

*1:メモリアルイヤーの2014年も終わりかけだが、何か特集やシンポジウムなどはないのだろうか…