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あとがき愛読党ブログ

本文まで読んでいることを保証するものではありません

あとがき15 もっとも短い「はしがき」: 野中哲照『後三年記の成立』(汲古書院、2014年)

もっとも簡潔な「はしがき」に出会ってしまった。

はらりと表題紙をめくると、左右にたっぷりと余白のあるページが現れる。その中央に、ほんの少し大きいポイントの活字で以下の文言のみが記されている。

はしがき

 

従来、貞和三年(1347)とされてきた『後三年記』の成立年次を天治元年(1124)に引き上げる――これが本書の主旨である。

 

これが、野中哲照『後三年記の成立』(汲古書院、2014年)冒頭頁の全てである。

http://www.kyuko.asia//images/book/186023.jpg


一般的に、このような論文集は、長年別個に書かれてきたもの集成であるからか、「その本で何が明らかになるか」は、往々にして模糊としていることが多い。それに比べた本書の端的さ、鋭さには、思わず息を呑む。

軍記物語『後三年記』の成立年が200年引き上げられることは、些事ではない。
*『後三年記』の成立が院政期だとすれば、『平家物語』などよりも前のものとなり、『将門記』『陸奥話記』などの初期の軍記と『平家物語』など鎌倉期の軍記との数百年の空白を埋める重要なテクストとなる。また、『後三年記』の制作が後三年の役(1083~1087)の当事者である藤原清衡周辺であるという著者の主張が正しいとすれば、後世の絵空事と歴史学から見られてきたこのテクストは、一挙に政治史的な対象となる。

このシンプルな命題を証明するために、国語学歴史学にもまたがるさまざまな知見が用いられ、新しい方法論の提唱にもいたる。本書の全てがこの「はしがき」に収斂するように構成されているのである。

本書の「あとがき」にはこう記されている。

なお本書の「はしがき」がわずか一文であるのは、故藤平春男先生の、「論文でも本でも、その意義をひと言で語れるようでなければ駄目だ」との教えによる。

同じく「あとがき」によれば、驚くべきことに、本書のテーマは30年前の卒業論文で得た着想なのだという。しかし、本書まで至る道は決して平坦ではないことは容易にわかる。これを貫徹するため、どれほどの葛藤を乗り越えてきたのだろうか。
博士論文*1になりうるような一書を成すことへの気魄、緊張感、そのようなものを感じて私は居住まいを正してしまったのだった。

 

*1:著者が学位を授与された博論は本書の原型であるが、『後三年記』に加えて『保元物語』も論じたものだったようである。

https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/40240/1/Shinsa-6364.pdf