読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あとがき愛読党ブログ

本文まで読んでいることを保証するものではありません

あとがき16 奥出雲から流出した仏像たち:映画『みんなのアムステルダム国立美術館へ』(2014年、オランダ)

http://image.eiga.k-img.com/images/movie/80692/poster2.jpg?1414464183

この間、劇場で映画『みんなのアムステルダム美術館へ』を観た。


映画 『みんなのアムステルダム国立美術館へ』公式サイト

前作『ようこそアムステルダム国立美術館へ』(2008)に引き続き、美術館の改修工事をめぐるバタバタを描いたドキュメンタリーだ。内輪の話はまとまらず、外野との話し合いは徒労。そんなてんやわんやを淡々と切り取るカメラの意地悪さがたいへん良い。

こんなビターなコメディ調の中で、一服の清涼剤が、仏像男子ことメンノ・フィツキさん(アジア美術学芸員)と、彼が購入してきた日本の仁王像だ。


REALTOKYO | Column | Interview | 114:メンノ・フィツキさん(アムステルダム国立美術館アジア館部長)

https://lh3.ggpht.com/15KsVzHlq7snTSms0auRuMde4cKMZPuXGfmb_iP0v3QkVD_5P6qS5FPT5F6ziF-RG3FCmdadUrJslmg6QN4ojFFlXp0=s293

https://lh6.ggpht.com/MbfT5rz181mb7CB87HJDTDit-Oer0BZ5WuYYwfcoD_aZDAVhCl94o7HuxKaPxQ-XNR3mZBwbMvKfPcQS4yWxqoyugu0=s293

 

パンフレットによれば、これは2007年2月に美術館が購入したもの。2m以上ある優品で、アジア館リニューアルの目玉になる。メンノさんがこれが旧蔵されていた廃れた山寺にはるばる参詣するシーンまで映画では記録されている。

しかし、エンドロール(まさに映画のあとがき)やパンフレットで目を凝らしてみても、その寺の名前は見つからない。
この寺は、島根県の奥出雲にある岩屋寺という。そして実は、この仏像は盗難されたものなのだ。

なぜ奥出雲からアムステルダムまで仏像は伝わったのか?今回は、奥出雲の岩屋寺から流出した文物について、誰でもアクセスできる公開情報をまとめておく。

■仁王像(14世紀?)

・現在、アムステルダム国立美術館に所蔵。

日本語で読める文献は見つけられなかった。ただ、ネット上にはそれなりに信のおける情報があるので、紹介しておく。
まず以下のブログで、地元の方がまとめたレポートが紹介されている。

咲子の奥出雲山里だより - 奥出雲讃菓 松葉屋 奥出雲の宝、発見☆

咲子の奥出雲山里だより - 奥出雲讃菓 松葉屋 『消えた仁王像の追跡』

咲子の奥出雲山里だより - 奥出雲讃菓 松葉屋 「消えた仁王像」の追跡 ①

咲子の奥出雲山里だより - 奥出雲讃菓 松葉屋 「消えた仁王像」の追跡 ②

咲子の奥出雲山里だより - 奥出雲讃菓 松葉屋 「消えた仁王像」の追跡 ③

要点をあげると、
・1973から75年ごろに寺から流出。1980年に売り出される。2004年からアムステルダムが交渉に入り、2007年に購入。
・頭部墨書から暦応年間(1338-42)以前の作であることが分かるため、年代は鎌倉時代にさかのぼる可能性がある。
ということになる。

誤解されないように強調しておくが、寺が売却したわけではなく、ましてやオランダ人が仏像をかっぱらったわけではない。

次いで、アムステルダム在住ライター・フォトグラファー、ユイキヨミ氏のブログpolderpress より。

 この仁王像と開眼式について、学芸員のメノー・フィツキさんによるレクチャーも行われた。
「この美術館で展示している仁王像は14世紀に作られたもので、かつては島根県岩屋寺を守っていました。寺はすでに廃寺になっており、像はアートディラーより購入しました。この像が置かれてた場所を見るために私は岩屋寺を訪れましたが、そこで目にしたのは、”門番”のいない朽ちた寺門でした。仁王像の小屋の側壁には、像を取り出すために開けられた大きな穴が、そのまま口を広げてしました。この光景を見たとき、私は何とも言えないメランコリーを感じました。悲しくもありました。我が美術館にある仁王像は、かつてはここが住処だったのだ。そして芸術品とはなんとも儚く、どんなに素晴らしい作品でも自らを守る術は持ってはいないのだと改めて認識しました」。そんな彼の言葉は、芸術への愛情と、宗教に対する敬意に満ちていた。

 アムステルダムでこの仁王像を見たこのブロガーさんは、そののち奥出雲の岩屋寺を訪ねている。

映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」に登場する仁王像のふるさと | polderpress

名古屋から電車で10時間かかったというから、並大抵ではない。

そこで撮られた写真を見ると、確かに映画に出てきた山門だ。メノウさんの言うとおり、側面がなく仁王像が運び出せるようになっているのがわかる。

■十一面観音坐像(鎌倉時代)

岩屋寺から流出した他の仏像として、十一面観音坐像がある。

この観音像は、2012年の京都国立博物館「大出雲展」(7月28日~9月9日)に出品された。目録には

十一面観音坐像1躯鎌倉時代 嘉元4年(1306)

とだけあり、現所蔵者については明記されていない。

この観音像は、こののち場所を変え、同年開催の島根県立古代出雲歴史博物館「戦国大名尼子氏の興亡」(10月26日~12月24日)でも展示された。

この両展示の図録での解説は参考になる。Web上で読める的野克之「「大出雲展」只今準備中」(『島根県立古代出雲歴史博物館NEWS』2【pdf】、2012)に同様の解説が書いてあるので、以下引用。

次に紹介するのは奥出雲町岩屋寺の旧本尊木造十一面観音坐像です。岩屋寺真言宗の寺院で、創建は古く、武士や庶民それに修験者の信仰も集めるなど勢力を誇っていて、横田八幡宮の神宮寺でもありました。しかし、永正年間(16世紀初頭)に尼子の兵火で焼かれてしまいます。しかし快円という僧が天文年間(16世紀半ば)に復興します。本像は嘉元 4年(1306)に鏡信という恐らく中央の仏師によって岩屋寺の本尊として制作されたことが分かっていて、快円は戦乱で傷んだ本像を修理しています。
しかし戦後、諸事情により岩屋寺は境内の様々な仏像を手放します。
本像は現在関西の個人の方の所有となっていて、その方のご厚意により展示がかないます。先日調査させていただきましたが、坐像で約 1メートルと大きく、しかも十一面観音では珍しい四臂(腕が 4本)の像で、上品な瓜実顔の像でした。
岩屋寺でこの像と一緒に安置されていた四天王像は愛知県のお寺へ、仁王門を守っていた仁王像はアムステルダム国立美術館へ行ってしまいました。仁王様は無理ですが、十一面観音様と四天王様には一度島根県に戻ってきてほしいものです。

この観音像に関しては以下の研究がある。

・伊東 史朗「岩屋寺旧本尊十一面観音坐像」(島根県古代文化センター 編『古代文化研究』14号、2006年)

・淺湫 毅「岩屋寺旧蔵の十一面観音坐像をめぐって」(京都国立博物館, 島根県立古代出雲歴史博物館 編.『大出雲展』島根県立古代出雲歴史博物館、2012年)

■四天王像(戦国時代)

さて、さきほどの観音像に関する引用で、これとともに安置されていた四天王像が「愛知県のお寺」に行ってしまったという記述があった。

これは、愛知県浄蓮寺という寺だ(『日本歴史地名大系』)。この四天王像は1979年に愛知県の文化財指定を受けている。

http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/choukoku/kensitei/img/0398-1.jpg

木造四天王像(もくぞうしてんのうぞう)

高さ持国天83.0cm、増長天85.0cm、広目天85.0cm、多聞天83.5cm。桧材、寄木造(よせぎづくり)、玉眼(ぎょくがん)、彩色。
4躯ともほぼ製作当初の姿を残している。面相に落ち着きがあり、甲冑などの彫り口は確実で古様を示していて、正統仏所の伝統を受けた作風をみることができる。
銘文によると、南北朝時代に出雲守護職を歴任した塩冶(えんや)氏の後裔(こうえい)、泰敏らを檀越(だんおつ)として、天文8年(1539)に京都七条仏所の康秀が島根へ下向して製作したことが知られる。
小像ではあるが室町時代末期の正統仏師による作品で、製作年代と作者が明らかな上に、一具現存しており、修補も殆どなく、製作当初の姿をよく伝えている。当時の基準作例として彫刻史上重要な価値をもっている。

これも、観音像とともに、2012年の島根歴博戦国大名尼子氏の興亡」に出品された。

■行基像(戦国時代)

京博「大出雲展」、出雲歴博「尼子」展両方の図録によれば、上記の四天王像と同じ仏師により同時期に作られた行基像があったという。岩屋寺から流出したのち、カナダ・モントリオール美術館に所蔵されているとされているが、詳細不明。

真言八祖像 (南北朝時代

これも2012年の出雲歴博「尼子」展で他の岩屋寺旧蔵品とともに出品されたもの。その図録によれば、岩屋寺から流出したのち、個人コレクターの手を経て鳥取県立博物館が購入したのだという。

この画像は、鳥取県博のデジタルミュージアムで公開されている。以下のリンクから閲覧可能。

鳥取県立博物館 資料データベース

岩屋寺文書

気になるのが、岩屋寺に所蔵されていたはずの古文書だ。中世文書12点を含む岩屋寺文書は『鎌倉遺文』『南北朝遺文』などでも紹介されているが、その原本はどこにあるのだろうか。

2006年に『東京大学史料編纂所研究紀要』(16)で公表された杉山 巖「光厳院政の展開と出雲国横田荘 : 東京大学史料編纂所所蔵『出雲岩屋寺文書』を中心に」【pdf】によれば、原本の閲覧は現在不可能だという。

岩屋寺文書は近代になって影写本(精巧な写し)が作られているので、それに拠るしかない。

東京大学史料編纂所影写本(架蔵番号3071.73-35)は1894年に影写されたものであり、文書12点を収録する。

島根県立図書館蔵影写本は、明治末から昭和初期の旧『島根県史』編纂事業に際して作成されたもの。『新修島根県史 史料篇 第1 (古代・中世)』で翻刻された岩屋寺の中世文書30点は、これを底本としている。なお島根県立図書館影写本は、東大史料編纂所に写真版が所蔵されている。

※ちなみに、杉山論文で紹介されている東大史料編纂所蔵の『出雲岩屋寺文書』27点(架蔵番号0071-28)は、元は岩屋寺所蔵だったのだろうが、上記のものとは別個に伝来した文書群である。

*******

以上のように、岩屋寺の文物は(それぞれの時期は不明だが)流出し、モントリオールアムステルダムにまで拡散している。これ以外の寺宝、とくに文書の出現が待たれるところだ。

●感想

以下、映画を観た感想。

あの岩屋寺から流出した仏像が出ているとは知っていたので、観る前は多少反感を持っていた。しかし、メンノさんが届いた仏像をキラキラとした目で眺め、いつ美術館が再オープンするのかも分からない中、この仏像の公開のために尽力する真摯な姿をみて、考え方を改めた。

ミュージアムショップでは仁王像の大きなフィギュアが売られており(Webで購入可能。吽形阿形)、この仁王を主人公にした絵本まで作られている。美術館の力の入れよう、仁王像の愛されようが伝わってくる。


bol.com | The Temple Guardians  , Katie Pickwoad | 9789047616412 | Boeken...

特に驚いたのは映画ラスト、美術館再オープンのシーンだ。なんと、美術館はこのために京都から僧を呼び、仁王像の開眼供養をしたのだ。

これは日本でもニュースになったようだ。


仁王像の「新居」はオランダ 国立美術館で開眼供養:朝日新聞デジタル

さきほど述べたユイキヨミ氏のブログでも詳細にレポートされている。

アムステルダムで執り行われた、仁王像の開眼供養 | polderpress

僧たちが恭しく花を捧げ*1、仁王像を荘厳するシーンに、メンノさんおよび美術館が、単なる美術品以上のものとしてかの仏像をとり扱う姿勢を感じ、私は心動かされた。

奥出雲を訪れたユイキヨミ氏は、地元の古老のことばを伝えている。

「2体ともアムステルダムにあるのかい!?」と驚く彼に、国立美術館の目玉のひとつとして、来館者を喜ばせていると伝える。
「仁王堂の中にあった時は、暗かったし、下から大きく見上げるようにしか姿を拝めなかったから、こんなにちゃんと全姿を見たのは初めてだよ。やっぱり立派だねぇ。返して欲しいねぇ。だが、ここに戻ってきても誰も管理はできないから、美術館で大切にされているのが一番いいんだろうねぇ」

もちろん、この古老が地元の意見を代表しているかどうかはわからない。学術的な公開、調査、保存などの観点から見れば、私としては、アムステルダムにあることは幸運だと思うけれども、「誰にとってよいか」を考えると一概に結論は出ない。

ただ、確実に重要だと言えるのは、この仁王像が元来どこにあり、なにと共にあり、どうやってそこから離れるにいたったかという文脈が忘却されないようにすることだろう。そんなささやかな気持ちから、この一文は草された。