あとがき愛読党ブログ

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あとがき21 人生有限、学無窮:竹内理三編『鎌倉遺文』(東京堂出版、1971-1995)

 みなさん、歴史家・竹内理三(1907~1997)をご存じだろうか。
 かつてある古代史のゼミで、先生がこう宣言した。
「みなさん、塙保己一と竹内理三には足を向けて寝てはいけませんよ」
 もちろん塙保己一は、江戸時代に『群書類従』を編纂した盲目の大学者だ。現代人なのに、それと肩を並べるとはなにごとか。
 写真でみる限り、竹内理三は、小柄なおじいさんだ。愛知県知多半島の田舎で生まれ、終生知多弁が抜けず、生まれつき体が弱かった。そんな小柄なおじいさんが、超人的としか言いようがない仕事を遺しているのである。

https://www.lib.city.chita.aichi.jp/tosho/rizou/rizo.jpg

 『竹内理三著作集』全8巻に及ぶような研究業績、そして数多くの事典、史料集、弟子の育成。とくに大書されるのが、『寧楽遺文』(全3冊、1943-1944)、『平安遺文』(全13冊、1946-1968)、『鎌倉遺文』(全46冊、1971-1995)の遺文シリーズだ。これにより、奈良・平安・鎌倉時代の日本にある古文書を、すべて活字で参照できるようになったのだ。古代・中世のことを知りたい人間で、竹内理三の学恩を受けてないものはいない。自分もそうだ。 

竹内理三著作集 (第1巻)

竹内理三著作集 (第1巻)

 

  竹内理三の人生をみて、ひときわ目を惹くのは『鎌倉遺文』の編纂だ。壮年のときに成し遂げた『平安遺文』の刊行で、竹内理三は朝日文化賞を受賞し、学会内外で確固たる名声を手にしていた。そこからさらに、『平安遺文』の数倍困難であろう『鎌倉遺文』編纂に乗り出したとき、竹内理三は64歳だった。そこから独力で執筆・編集・校正をこなし、半年で1冊という驚異的なペースで刊行していった。予定を大幅に超過し、正編・補遺編併せて46巻を刊行し終えたとき、竹内理三は88歳になっていた。

鎌倉遺文〈古文書編 第42巻〉

鎌倉遺文〈古文書編 第42巻〉

 

   ゲーテミケランジェロを称えて「シックストゥス礼拝堂を見ないでは、一人の人間が何をなし得るかを眼のあたりに見てとることは不可能である」と喝破した*1が、私は、『鎌倉遺文』にそれを見る。

 あるとき畏友が、自分に言った。
「竹内理三がよく揮毫する言葉、知ってる?『人生有限、学無窮』だって」
『人生有限、学無窮』!まさに竹内理三の生き方そのものではないか。
 深く感銘を受けた自分は、竹内理三のことを話題にするたびに、この言葉を思い出した。
 そして数年後。この畏友とまた竹内理三について話していると、彼はまた自分にこう言った。
「『人生有限、学無窮』…これって、教えてくれたの、お前だよね」
 えっ、自分は、そっちに聞いたんだけど…。
「あれ、この名言、お前に聞いたものだとばっかり…」
 なんと、お互いがお互いに教わったと称しているのだ。こんなこと、あるんだろうか。
 正直なところ、数年のあいだ『人生有限、学無窮』!とほうぼうに言ってきたので、誰から教わったのかはかなりあいまいな記憶になってしまっている。もしかしたら、記憶が逆転しているのかもしれない。
 ともかく、これによって、『人生有限、学無窮』が出処不明の名言になってしまった。

 さて、出典を探すためGoogleで検索してみると、twitterの歴史家botなるアカウントが引っかかる。

 これにはちゃんと「竹内理三の揮毫より」と注記がついている。だったら、出処を探るのも簡単なんじゃないのか?

「シシシシ 残念だけど、それはムリだね」
「え?」
「なんでムリだって分かるんだよ」
「なぜって、そりゃ……そいつの開発者、俺だもん」
(映画『サマーウォーズ』より)

 そう、その歴史家botにタレこんでこの『人生有限、学無窮』を入れてもらったのは、他でもない自分なのだ。そして、この歴史家botは、夜ごとに胞子を噴出する茸のように、今や出処不明となってしまったこの名言を、この数年間ウェブ上に拡散してきたことになる。

 そして、拡散は別のところにも及んでしまったようだ。たとえばこの書籍の一節。

 休日は昼過ぎまで寝ていたり、パチンコで時間をつぶすだけの暮らしで空しくならないだろうか。

 人生有限、学無窮。

 これは歴史学者の竹内理三が揮毫した言葉である。人生は有限であるけれども、学ぶのは無限だ、という意味である。

成毛眞『日本人の9割に英語はいらない』、祥伝社、2011年

 さらっと通読してみたところ、著者独自のソースを持っているわけではなさそうなので、歴史家botによってこの『名言』を知ったに違いない。そして、2013年にはこの本の文庫版が出ているので、それなりに売れて世間の目に触れているようなのだ。

 名言、名エピソードは出典があやふやでも広まってしまいやすい。たとえば、夏目漱石がI love you. を「月がきれいですね」と見事に訳したというハナシが代表的だ。

「月が綺麗ですね」検証

 自分が軽率なことをしたばっかりに、この出処不明の名言がさらに拡散されてしまうことになったら…。少年時代のブラック・ジャックを手術したとき体内にメスを置き忘れてきたことに気づき(とんだすっとこどっこいだ)苦悩する本間丈太郎先生のように、頭を抱えることになった。なによりも、出典を解明しないことには、史料から明らかなこと以外は何ひとつ言明してはならないと弟子を誡めた竹内理三の主義に反するではないか。

 ということで、『人生有限、学無窮』の出典を調べてみた。

①『古代文化』第50巻第11号(1998年)

 とりあえずGoogle booksで「人生有限、学無窮」と検索してみたら発見。実物を見てみると、『竹内理三 人と学問』という本の短いレビューがあった。そこにはこうある。

(…)今更その経歴・業績については云々するまでもなく、ここでは明石一紀氏の『竹犂庵先生遺語』より、数ある竹内氏の人間性を示すに足る語録よりその幾つかを紹介しておきたい。

 『人生有限』『学無窮』『自分には厳しく、他人には寛容に』『人生の成功の秘訣は、運・鈍・根である』(…)

 おお、『人生有限、学無窮』!どうやら、『竹内理三 人と学問』に出典があるようだ。

②『竹内理三 人と学問』(東京堂出版、1998年)

 これは竹内理三が没したのち、周囲のひとびとによって編まれた追悼本だ。

竹内理三―人と学問

竹内理三―人と学問

 

 そのなかに、明石一紀撰「竹犂庵先生遺語」という記事がある。竹犂とは竹内理三の雅号だ。そのなかに「学無窮」と「人生有限」の二語が収録されている。ところが、この二つはお互いずいぶん離れたところに配置されており、連結されたひとつの名言とはなっていないのだ。引用しておこう。

☆学には窮まり無し(「学無窮」)

ゼミ修了の記念アルバムの巻頭に、この言葉を書き添え、送り出してくれた。

そしてそこからかなり離れた後の方に、

☆人生に限り有り(「人生有限」)

一方、学問には限りがない。従って………、となるわけだが、先生は深く色々な意味で用いたものと思われる。

という記述がある。内容的に関係しているという書きぶりだが、連結して揮毫されたとは書いていない。

 この「人生に限り有り」の方は、瀬野精一郎「意識過剰・増長・離婚」という記事から補遺として引用したものだという。次はそれにあたってみよう。

瀬野精一郎「意識過剰・増長・離婚」(『日本歴史』第591号、1997年)

 瀬野は竹内理三の弟子だ。記憶に残る師のことばがいくつか連ねられている。

(…)「彼には近寄るな」「学問は無限だが、人生には限りがある」「数代に渡って継承されるものでなければ真の学問ではない」(…)

 少しかたちは違うが、『人生有限、学無窮』と意味は同じだ。そして、瀬野精一郎の蔵書に竹内理三が認めた揮毫の写真がふたつ載せられている。片方には「学無窮」、もう片方には「人生有限」と大書されている。

 ということで、『学無窮』と『人生有限』のふたつが揮毫されていることは確認できたのだが、これを竹内理三自身が連結させて使っていたという確証がほしい。その根拠は、たまたま目の前に現れた。

④竹内理三編『鎌倉遺文 古文書編 補遺第2巻』(東京堂出版、1995年)

 鎌倉遺文をめくっていて、ふと「序」を見ると、この言葉が眼に飛び込んできた。

恐らくなお未収録の文書はこれにとどまらないと思われる。多くの研究者によって未収録文書を補っていただくことは、編者が最も期待するところである。

 人生には限りがあるが、学問には窮まるところがない。真の学問の進歩のためには、一代で断絶することなく、何代にもわたって継承される必要があると信じる。(…)多くの研究者によって鎌倉遺文が多方面に活用されることを切望して止まない。

  平成七年二月三日

                    竹内理三

 この「序」は補遺編第2巻(補遺編は4巻まである)という中途半端な巻にあるが、意味は重い。鎌倉遺文には毎巻ごとに冒頭の「序」を竹内理三が執筆していたが、補遺2巻以降はこれが途絶え、最終巻(補遺編第4巻)の「あとがき」は弟子の瀬野精一郎が書いている。もはや、体力的に限界だったのだろうか。つまり、この補遺編第2巻の「序」が、鎌倉遺文の実質的な「あとがき」といってよい。

 そんな節目の文章に、「人生には限りがあるが、学問には窮まるところがない。」と書いているのには、偶然以上のものを感じる。この言葉に竹内理三自身が強い愛着を持っていることが、これで確かめられた。『人生有限、学無窮』という揮毫を認めていたとしても、おかしくはない、と言えるのではないだろうか。もちろん、実際に揮毫している事例が見つかるまで自分の義務は果たされないので、これは中間報告的なものだ。もし他に情報お持ちの方がいたら、ぜひ教えてほしい。

 

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 というわけで今回は、竹内理三の名言の典拠を云々するだけで終わってしまった。竹内理三が遺した仕事がいかに偉大なのかは、おいおい書いていくことにしたい。

 

*1:ゲーテ『イタリア紀行(下)』、岩波文庫、p67