あとがき愛読党ブログ

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あとがき23 原態本の発見?:丸山眞男『現代政治の思想と行動』(未來社、1956-57)

 あとがき愛読党員たるもの、かの丸山眞男の名著『増補版 現代政治の思想と行動』の「増補版への後記」にいつかは向きあわなくてはならない。今回はそれへの布石ということで、その旧版についての小ネタを取り上げたい。

〔新装版〕 現代政治の思想と行動

〔新装版〕 現代政治の思想と行動

 

  テクストを追求するものにとって、原態(オリジナル)は特別な意味を持っている。目の前にあるテクストよりもさらなる古態本、できれば原態本を手に取りたいという欲望が、眼には見えない『〈原〉源氏物語』や『〈原〉太平記』を研究上仮設させてきた。

 さて、丸山眞男の『現代政治の思想と行動』は戦後からの10年間丸山が時局と関わりつつ発信した成果がまとめられた論文集だ。増補版に先立つ旧版は、日頃あまり意識していないが、上下巻の分冊で刊行されている(増補版で合冊された)。実は、旧版よりも先立つ『〈原〉現代政治の思想と行動』を推測するための資料を自分は私蔵している。画像を見てほしい。

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 これは、とある方から譲り受けた石母田正『古代末期政治史序説(上)』初版本(未来社、1956.11.15)にはさみこまれていた未來社の新刊広告だ。ウラ面が石母田の、そしてオモテ面がかの『思想と行動』の予告になっている。これは多分国会図書館も持ってないレアものだ。

 戦後を代表する知識人のふたりが奇しくも同じチラシに名を連ねているのはなかなか感慨深いのだが、気になるのは、予告されている『思想と行動』の内容が、われわれが知っているものと多少違うことだ。

 チラシの末尾にはこう書かれている。

十一月末刊 A5判上製函入 四〇〇頁 予価四八〇円

 しかし、実際に出た『思想と行動』は上下巻に分冊されており(上巻280円、下巻350円)、しかもハードカバーではなく軽装だった。
※ちなみに軽装にしたのは出版社ではなく丸山の希望で(「増補版への後記」より)、戒能通孝から「貧弱な装幀」と文句を言われたらしい(丸山「三十五年前の話」)。出版日付も、上巻は1956年12月15日、下巻は1957年3月30日で、チラシの予定よりも遅れている。

 「目次」として出ている内容予告にも異同がある。チラシから引用しよう。

目次
第一部 現代日本政治の精神状況
超国家主義の論理と心理 日本ファシズムの思想と運動 軍国支配者の精神形態 ある自由主義者への手紙 恐怖の時代 日本におけるナショナリズム 講和問題によせて 「現実」主義の陥穽
第二部 イデオロギーの政治学
西欧文化と共産主義の対決 ラスキのロシヤ革命観とその推移 ファシズムの諸問題 軍国主義ナショナリズムファシズム スターリン批判における政治の論理
第三部 政治的なるものとその限界
科学としての政治学 人間と政治 肉体文学から肉体政治まで 権力と道徳 支配と服従 政治権力の諸問題 政治的無関心

表記の相違は以下の通り(左がチラシ;右が刊行本)
・西欧文化と共産主義の対決→西欧文と…
・ラスキのロシヤ革命観とその推移→…ロシ革命観…
軍国主義ナショナリズムファシズムナショナリズム軍国主義ファシズム
スターリン批判における政治の論理→スターリン批判における政治の論理
・政治的なるものとその限界→政治的なるものとその限界
政治的無関心→(収録されず)
 だいたいは細かい表記の違いだが、「西欧文化」と「西欧文明」は実質的意味まで変わってくるかもしれない。
 そして、刊行時には収録されなかった「政治的無関心」。これは、丸山が『政治学辞典』(平凡社、1956)に執筆した大項目「政治的無関心」のことだろう。『政治学辞典』に執筆した項目のうち、いくつかは(統合や加筆を経て)『思想と行動』に収録されているのでありうべき話だ。ちなみに「政治的無関心」は、松本礼二が編んだアンソロジー『政治の世界』(岩波文庫、2014年)に入っている。

政治の世界 他十篇 (岩波文庫)

政治の世界 他十篇 (岩波文庫)

 

  そしてこのチラシがはさまっていた『古代末期政治史序説(上)』初版本の奥の近刊案内には

A5判 400頁 予価450円 12月上旬刊

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とあり、チラシの予告からさらに変更されている。

 このチラシや『古代末期政治史序説(上)』が発行された1956年11月ごろ、丸山はいったい何をしてたのだろうか。
 『思想と行動』刊行のころを丸山が回顧した「三十五年前の話」(『ある軌跡―未來社40年の記録―』)というエッセイを見てみよう。
1956年11月、丸山は『思想と行動』の追記と補注の執筆真っ最中だった。11月1日と7日の2回に分けて第一部の追記と補注の原稿を編集に渡し、第一部の追記・補注を最終的に書き上げたのが12月2日(上巻刊行の2週間前!)だったらしい。1966年の座談会(「未來社の15年・その歴史と課題」)でも、西谷能雄(未來社編集者)と丸山はこう回想している。

西谷 やっと緒についてくれたのはいいんだけど、僕はそれで〔既発表の論文のままで〕、並べればいいと思っていたら、今度は、本文のあとに註つけにゃいかんって、それでまた時間がかかり出したんでね(…)
丸山 一気にいったですね。あれは松本君〔松本昌次。未來社社員〕が大変だったですね。それは印刷所でも書いたし、どこでも書いた。だから一瀉千里。自分でも俺は一体遅筆なのか、速筆なのか分からないと思うくらいでしたね。一旦書き出したら…。

 どうやら編集と丸山のあいだで齟齬があり、編集の予想以上に丸山が土壇場でがんばりだして、加筆しまくってたらしい。ちょっと迷惑な話だ。上下巻になってしまった事情はよく分からなかったが、12月の時点で第一部の加筆までしか完成していないので、第二部・三部の追記・補注を書く時間を考えて一冊にするのをあきらめ、分冊にしたというところじゃないだろうか。ということで、丸山が旧版での「後記」に書いていた

 おわりに本書が陽の目を見るまで丸六年も辛抱強く待ってくれた、出版社長というより友人の西谷能雄氏と、最後の急ピッチの仕上げに大変迷惑をかけた松本昌次氏はじめ未来社の人々の尽力に感謝してペンをおく。

というのはダテではないのだ。

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 ということで、今回はチラシから『〈原〉現代政治の思想と行動』を仮構してみたのだが、もしも『源氏物語』や『太平記』並みに丸山のテクストが研究されている世になったら、この“原態本”をことさらに言いつのり、表記の違いや未収録稿についてこねくりまわした博論の一本でも書けるかもしれない。また、そのような原態・古態への過剰な遡及志向が戒められ、テクストの複数性云々が言われて久しいから、その観点からもう一本書けるかもしれない。自分に見えるのは、年末進行のなかで版元と丸山がドタバタしている風景なのだが。