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あとがき34 書名は短いほうがいい?:東川徳治編『典海』(法政大學出版部、1930)

 学術的な編纂物の名は、短いほうがなぜか本格的な感じがしませんか?

 たとえば、小学館日本国語大辞典』は、これ以上ないシンプルかつ力強い書名だが、すこし味気ない。東京大学出版会が刊行している『古語大鑑』は、よくぞその書名で出してくれたという感じだ。
 『平安遺文』『鎌倉遺文』がもし『編年古文書集 平安時代篇』だとか『鎌倉時代文書集成』という書名だったら、こんなに愛着は湧かなかったかもしれない。
 4文字タイトルあたりから品格が漂ってくる。『広辞苑』のように3文字だとなおさら。さすがに1文字だと『詩』『書』『礼』……と聖典になってしまうので、2文字タイトルが至高なのではないか。

 さて、こんな本がある。
 東川徳治編『典海』(法政大學出版部、1930)

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典海標題

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 なんと、2文字書名、しかも「編」とあるが、実質的に東川ひとりの著作なのだ。……で、いったい何の本?
 著者の東川徳治(1870-1938)は高知の人。その生涯は以下の年譜に詳しい。

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 東川は、台湾旧慣調査会にあって台湾での立法事業や『清国行政法』の編纂にかかわった縁で、中国法制史の専門家となったという。この編纂事業には織田萬、狩野直喜、浅井虎夫、加藤繫など、法制史・東洋史学者として名を成す人々が加わっていた。大日本帝国の植民地経営上で、法制史学と実務との協調が見られたのは興味深い。手に入りやすいところだと、すこし前に復刊された浅井虎夫『新訂 女官通解』には嵐義人「浅井虎夫先生と『女官通解』」としてこの事業についても触れられている。 

新訂 女官通解 (講談社学術文庫)

新訂 女官通解 (講談社学術文庫)

 

  東川は台湾旧慣調査会での職務のなかで難解な法制用語に苦しめられたことで、独力での辞書編纂をこころざした(『典海』序)。苦心惨憺のうえ昭和5年(1930)に法政大学出版部から刊行したのが、『典海』だ。ときに東川、60歳。題意は「典海ハ経国済民ニ関スル法典ノ語海ナリトノ義、約言スレバ法制経済ニ関スル辞典ナリ」(増訂版新序)ということらしい。もっとも、辞書編纂にあたって相談に乗ってもらった穂積陳重とは「法制辞典」というシンプルな題にすると約束していたけれども、純法制以外の用語も収録するということで「典海」に改めたらしい。2文字書名に、こだわりがあったのではないか。

 さて、昭和8年(1933)には、発行者を東川徳治自身、発売所を松雲堂に変更して、『典海』の増訂版が刊行された。

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 発行所が法政大学出版局から変更されたわけは、増訂版の「新序」で分かる。どうやら金銭上の行き違いがあったようで、元出版局の「某君」とのやりとりが「ここまで書かなくてもいいのに……」というくらい細かく記されている。そうとう腹に据えかねたのだろうか。なお初版の序と読みくらべると、「某君」の名前もわかってしまう。この記事によれば、当時仕事で負債を作り投身自殺しかけたような人物だったらしいので、金銭がらみで問題があったのは事実かもしれない。

 増訂版で残念なのは、「此ノ題名ニ就キテハ惑フ者アルガ如シ」ということで、無味乾燥な『支那法制大辞典』に改題されてしまったことだ。戦後には『中国法制大辞典』(燎原, 1979)として再復刊されている。復刊されるたびに書名が変わる辞書というのもめずらしい。書名には、下方硬直性があるようだ。