あとがき愛読党ブログ

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あとがき9 「つきあい」の可視化: 河野有理編『近代日本政治思想史』(ナカニシヤ出版、2014年)

 瓦経というものをご存知だろうか。
 粘土板にお経を刻んだものだ。

瓦経|奈良国立博物館

 なぜか平安時代ごろから、この瓦経を大量に作って土に埋めることが流行りだした。
 それが父母の供養や自分の極楽往生に効くと思われていたらしい。
 瓦一枚につき200字も入らないので、長いお経を瓦という媒体に収録するためには、膨大な枚数の瓦を焼かなくてはならない。そのため、多くのカネと手間がかかる。それゆえ瓦経の埋納は、たくさんの出資者を集めて遂行される地域の一大プロジェクトだった。

http://www.narahaku.go.jp/photo/exhibition/D047005.jpg

 その瓦経が土中から現代人によって掘り起こされる。新しく瓦経が発掘されたとき歴史学者がまず注目するのは、(中世人からすればはなはだ奇異だろうが)彼らが精魂込めて彫りこんだお経の文章自体ではない。瓦経のなかには、本文(お経)といっしょに、それを埋めた年月日や出資者の名前が彫りこまれたものがある。歴史学者は本文そっちのけでそれに熱中するのだ。
 なぜか。瓦経の出資者というのはその土地の名士であることが多い。要は、瓦経に連なる人名は、地域の人間関係が反映しているのだ。そのようなあいまいな「つきあい」というものは、実は他の史料では観測しづらい。瓦経はそれが可視化された稀有な素材なのである。
 例えば三重県伊勢市の小野塚から大量に出土した瓦経に刻まれた人名をていねいに分析すると、海(伊勢湾)の向こうの愛知県渥美半島の伊良湖の関係者が多いことがわかり、他の史料では見えづらかった海をこえた「つきあい」が形になっているのを観測できるのだという〔参考:苅米一志「荘園社会における寺院法会の意義―三河国伊良湖御厨における埋経供養を例に―」、同『荘園社会における宗教構造』、校倉書房、2004年〕。所領や国など制度的単位をこえた「つきあい」を図らずも記録しているところが、瓦経の大きな意義だ。

荘園社会における宗教構造 (歴史科学叢書)

荘園社会における宗教構造 (歴史科学叢書)

 

 

 さて本の「あとがき」も、瓦経の人名と同じ効果を発揮することがある。
 「あとがき」につきものなのが、関係者への謝辞だ。瓦経と同じく、この謝辞を読むことで、著者をとりまく人間関係を復元することがある程度可能だ。

 たとえば先日出版された佐藤健太郎『「平等」理念と政治』(吉田書店、2014年)のあとがきはたっぷりとスペースがとられ、読みごたえがある。このあとがきでは著者が東大在籍時代出席していたゼミの教官ひとりひとりに長めの謝辞を書いている。その謝辞は著者の所属の法学部教官以外にも向けられており、それを眺めることで、ゼロ年代の東大で日本政治外交史に近い分野の教官がどこにいたのかがおぼろげながら判明する。これもまた、制度的単位をこえた「つきあい」が可視化されたものといえる。本文を正確に読むためには、このようなネットワークで著者が自分の学問を形成していったことを念頭に置いておくことも重要だと自分は思う。

 以前あとがきとは、成分表示だとこのブログで書いた。


 「つきあい」という著者の学問的成分のひとつを、謝辞は(本来の目的とは別に)表示しているのだといえよう。

 

 さて昨日(!)発売された河野有理編『近代日本政治思想史』(ナカニシヤ出版、2014年)の巻末には「【討議】新しい思想史のあり方をめぐって」と題された、執筆者のうちの3人(河野有理、大澤聡、與那覇潤)の鼎談が収められている。これがあとがき愛読党的にはなかなかおもしろい*1

近代日本政治思想史―荻生徂徠から網野善彦まで

近代日本政治思想史―荻生徂徠から網野善彦まで

 

 

 そのテーマは。思想史研究に3人が踏み込んでいったかの経緯を語り合うもの。特に、彼らの学問的遍歴が、「出版動向」という経糸と、「つきあい」という緯糸で語られる点にこの鼎談の特長を見たい。
 私は思想史プロパーではないので、緯糸の「つきあい」―すなわち大学、学部、研究室、ゼミなどの場での交通―にとても興味をもって読んだ。3人ともほぼ同年代で、東大の教養学部(いわゆる「駒場」)になんらかのかたちで関わっていた。内容は、指導教官が誰だったかに始まり、どの教官の授業に出たか、あるゼミの雰囲気はこうだった、研究会でこんなメンツが集まっていた、院試でさる教官にボコボコにされた、などなど。

 共通の基盤をもつ人々の会話だけあって、悪く言えば内輪の話ともいえる。東大内部の思想史に近い制度的拠点だけでも、教養学部の地域文化研究と表象文化論と相関社会科学、ならびに文学部の倫理学と日本史、ならびに法学部の西洋政治思想史と日本政治思想史、ならびに社会情報研究所が互い違いに言及され、目眩せんばかりだ。しかしもっと別の人に聞けば、いや、倫理学内でも東洋と西洋の毛色はかなり違うとか、教育学部の政治思想史が抜けている、などと言われるのだろう。いくらでもアトマイズできる話題なのだ。

 この鼎談が画期的なのは、このような「内輪の話」を意図して言語化して、活字に残そうとしている点だ。編者の河野有理は鼎談の冒頭こう宣言する(太字は私によるもの。以下同)

本日はわれわれ同世代の研究者がどのような過程を経て、思想史という学問領域と関わることになったのかを振り返るとともに、今後の思想史「業界」の行く末を考えたい。その際には、高校までの読書や教育といった知的体験も重要ですが、むしろ大学、とくに大学院という「制度」の問題にフォーカスしたい
 かつての思想史家が歩んだような、戦争体験や強烈な時代感というのは、薄い世代なのではないか。だからこそ制度的な問題を語ろうという試みが、この鼎談のメインパートになるかと思いますが。

 この「制度」の問題というのは、先述した「制度的単位をこえた「つきあい」」も入っているのではないだろうか。

 大澤聡も賛意を表して、以下のように表明する。

ただ、読む人によってはいささか不遜に映るのでは、という心配もある。この種の企画はどうしても自分語りに陥るので。それが下品で滑稽だという感覚は僕の中に強烈にあります。子どもたちのおしゃべり(笑)みたいな。ただ、他方で旧来の研究者の躊躇や慎ましさの連鎖によって無数の断絶が生まれてしまっていることもまた事実。継承感覚の欠如も問題です。

 謝辞は、感謝を公言するという形式のもとで大澤のいう「不遜」さを和らげていた。しかし今回、逆機能していた「躊躇」「慎ましさ」をあえて踏み越え、意図的に学問的な「つきあい」を可視化する試みが行われたことを、外野の人間として喜びたいと思う。自分は、著者が照準を定める対象と同じ程度に、著者自身にも興味があるのだから。

 

*1:これが「あとがき」のつもりで収録されたかどうかは不明だが、それは措いておこう。