あとがき愛読党ブログ

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あとがき32 「価値自由」をめぐって:安藤英治『マックス・ウェーバー研究』(未来社、1965)

 かつて私は、「あとがき」の必要性を論じて以下のように書いた。

しかし、私はあえてあとがきの必要性を説きたい。
 あとがきはなぜ必要なのか?それは、「経験」(「私事」)と「学問」との関係にわたる問題なのだ。
 マックス・ウェーバーの議論を引くまでもなく、いかに「客観的」な学問上の考証も、「主観的」な関心や観点なくしては出発できない。関心や観点は畢竟、生い立ち、家庭の状況、住んだ土地、時代との出会いなど、学者の個人的な経験に根差す。
そのような書き手の経験を盛り込めるのは、あとがきが最も適している。

atogaki.hatenablog.com

 

 ここで言うまでもなかろうと思って引用しなかったのはもちろん、マックス・ウェーバーの「客観性論文」こと、『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』であり、そこに記されたWertfreiheit、そしてそれを「没価値性」ではなく「価値自由」、すなわち科学的認識から価値判断を排除するのみならず、自分のもつ価値基準を鋭く意識する義務もあるのだとしてきた、戦後日本のウェーバー読解を念頭に置いていた。

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)

 

 これは歴史学にとっても無縁ではない。
 戦後の石母田正による津田左右吉を相手取った実証的歴史学批判は、眼が冴えるようなものがある(いずれも同『歴史と民族の発見』東京大学出版会、1952所収)。

歴史学界には、自分は一貫した体系も方法も、またそれらの前提となる立場ももたないという学者が、あるいはそれを誇りとしてさえいる歴史学者が、まだ多く存在しています。

批評者にとっては、一つの学問に理論的なもの、方法的=哲学的なものがあればあるほど、それだけそれは実証的ではないというふうにかんがえられているようであります。

石母田正歴史学の方法についての感想」[1950]

 こちらはもっと手厳しい。

ことに歴史学ほど包括的な思考力を必要とするものはないことを認識しないばかりでなく、むしろ無性格、無思想をその誇りとさえする。〔…〕客観的歴史学は恥ずべき無節操であり、その無性格は奴隷の無性格にすぎなかった
いわゆる実証主義は歴史と現実にたいして謙虚なように見えて事実はおそるべき暴力を現実世界に加える力をその機能としている。それは〔…〕歴史を素材としてばらばらにし、安易な社会や人間に対する常識を以てそれをつなぎ合わせて行く

石母田正「政治史の課題」[1947]

歴史と民族の発見―歴史学の課題と方法 (平凡社ライブラリー)

歴史と民族の発見―歴史学の課題と方法 (平凡社ライブラリー)

 

  もっと引用したい個所は多いが、とりあえずこれで止めにしておく。これをマルキシストの偏執的攻撃と片づけることはできないのは、上記の戦後日本ウェーバー読解と響きあっているからである。自分の内的な価値基準を自覚していない”エセ価値自由”は、自分はどんな価値からも自由!と宣言しながら、実のところ安易な常識に縛られており、あまつさえそれをもって誇りとして「傾向者」への攻撃に乗り出してくるのだ…という石母田の批判は、実に示唆的である。

 

 そんな「価値自由」をめぐる議論を前提としつつ、「さすがにここまでしなくても……」というのが、今回紹介する安藤英治『マックス・ウェーバー研究』(未来社、1965)の「あとがき」である。

マックス・ウェーバー研究―エートス問題としての方法論研究

マックス・ウェーバー研究―エートス問題としての方法論研究

 

 著者は「ウェーバーの教えに従い、学者は自己の立場を明確にする義務に従わねばならない」という信念のもと、28ページにも及ぶ濃密な「あとがき」をものしている。戦中派(1921生)らしく、病、学問、共産主義、周囲の転向、ウェーバーとの出会い、”自発的”従軍、兵営生活、敗戦、母の死、就職……と怒涛の来し方が語られる。とにかく長い。「自分の精神史を書いたのでは毛頭ない」といいつつ、結局自分史を語りまくっている。

 さらに匂うのは、丸山眞男との関係である。この長い「あとがき」で丸山は7回も登場する。はじめは「同級の親友丸山邦男君の兄上、当時帝大(東大)生だった丸山真男氏」なのに、その次からは「丸山真男兄」、「真男兄」として、べたべたである。「真男兄」からの啓示、「真男兄」の回答、「真男兄」を介したウェーバーとの出会い、「真男兄」のあっせんによる就職、「真男兄」からの痛烈な一喝、すべてがその都度「真男兄」に導かれてノコトデアッタ、「真男兄」、「真男兄」、「真男兄」……。「におわせ」というにはあまりにも露骨すぎる。

 著者は兵営生活でも”ヴェルト・フライハイト”が一瞬たりとも頭を離れず、駆け足のときも、カッターを漕ぐときも、教官に殴られているときも”ヴェルト・フライハイト”だったらしい。まあそれはいいだけど、こういう自己の語りが「あとがき」からあふれ出して本文の領域にまで充満してきたらどうなるのだろうと、それはそれで物憂いのであった。