あとがき愛読党ブログ

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あとがき31 陰謀はどこだ?:フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』

 2018年5月、アメリカの作家・フィリップ・ロスが世を去った。本記事はロス追悼のため開かれた読書会「ロスろす会」で私がしゃべったペーパーが元になっている。

課題書

フィリップ・ロス作・柴田元幸訳『プロット・アゲンスト・アメリカ―もしアメリカが…―』(集英社、2014、原著2004)

 あらすじ

「だって歴史って何だ?」と父は、夕食時にありがちな、上機嫌な教師気分のときに、はじめから答えのわかっている問いを口にした。「歴史ってのは、あらゆるところで起きているすべてのことさ。ここニューアークだってそのなかに入っている。ここサミット・アベニューだって入っている。普通の人間の身に、わが家で起きていること、それだっていつの日か歴史になるのさ」(p245)

 「もしもアメリカが親ナチスになったら…」という歴史改変小説。1940年の大統領選、突如共和党候補として、飛行家にして反ユダヤ主義者のC・リンドバーグが立候補する。その知名度と「戦争か、リンドバーグか」という争点の単純化で、孤立主義の支持を得て現職のローズヴェルトに圧勝する。リンドバーグ政権下、ナチスと協定が結ばれ欧州戦線は放置され、一方国内では次第にユダヤ人への圧力が強まっていく。その中で、主人公フィリップ・ロス少年の家庭と彼が住む小さな世界も引き裂かれていく。勤勉な父は失職、従兄はナチスとの戦闘で足を失い自暴自棄、兄はユダヤ同化政策によって親リンドバーグに、叔母は政権寄りのラビと結婚し社会的上昇を果たす。1942年、リンドバーグ政権を唯一正面から批判してきたユダヤ系ジャーナリストのウォルター・ウィンチェルは大統領選出馬を宣言し、激烈な反政権運動を開始する。これによって全米が騒然となり、ユダヤ人襲撃がはじまった。ウィンチェルは街頭で暗殺され、ローズヴェルトらによる葬式で反政権の動きが活性化する。緊張が最高潮となった最中、突如リンドバーグ大統領は航空中に失踪する。政権は混乱するが、結局は選挙によってローズヴェルトが再選し、アメリカは連合国側として参戦していく。

感想

 トランプ政権が誕生し(リンドバーグと同じくアメリカ優先、孤立主義!)、中間選挙で前大統領のオバマが活動するという現状をまさに予言していたような作品で、眩暈がした。しかし、ここまで予言的だと本作の読みが限定されてしまい、テクストにとっては不幸かもしれない。単なる予言的中という以上の興味深さが本作品にはある。
 本作で出てくる人物は(ロス家の人間も含め)ほとんどが実在の人物である。リンドバーグも実際に親ナチスとして有名であり、共和党大統領候補として担ぎ上げようという動きもあった。巻末には、あとがきの代わりに、大量の参考文献リスト、主要人物の実際の年譜、実際のリンドバーグの演説などが収載されている。

 あらすじとして述べたような(架空の)政治過程を追いつつ、視点は成長したフィリップ・ロスであり、ロス家で起こったことと、当時の報道と、後年手に入った資料や談話などで小説は構成される。つまり、政権内部の真実は書き手にも読者にもよくわからない。
 タイトルの「プロット」はすなわち「陰謀」だが、作中で言及される「陰謀」はひとつではない。ユダヤ人とローズヴェルトによるアメリカを戦争に巻き込む陰謀(リンドバーグ曰く)、リンドバーグによるユダヤ人を弾圧する陰謀(ウィンチェル曰く)、ユダヤ人と民主党によるリンドバーグを拉致し開戦する陰謀(ウィーラー大統領代理曰く)、ナチスによるリンドバーグを手先にして米国を操る陰謀(ラガーディアNY市長、エヴリン叔母ら曰く)、ウィーラー大統領代理による違憲の陰謀(リンドバーグ夫人曰く)……。特にラストにかけては両陣営が互いの「陰謀」を言及し畳みかけるような展開となっていく。小説形式の叙述も中断し、「ニューアーク・ニューズリール・シアターのアーカブより」として、年表のように資料が並ぶ形式にとって代わられる。唯一真実らしく登場するのは、叔母(政権中枢に縁故がある)が述べる、「かつて誘拐されたリンドバーグの赤ん坊は実はナチスの下で養育されており、人質にされたリンドバーグナチスに操られ、用済みになったので拉致されたのだ」という筋書きだが、主人公の母には正気を失っていると判断されてしまう。事実は錯綜し、真実は主人公フィリップ少年も我々読者もわからない。
 思うにこれは、典型的な陰謀論的思考である。陰謀論の特徴は、「特定の個人ないし勢力が、状況をすべてコントロールしているはずだ」と想定して、真犯人探しをすることにある。しかし、たいていの場合、状況をすべてコントロールできているのは希で、実際には、ユダヤ人はおろか、ホワイトハウスナチスですら、完璧に状況を動かすことはできなかったであろう。この作品で唯一状況をコントロールできそうなのは、作者であるフィリップ・ロス本人であるが、その分身(子供ロスと筆者ロス)は明らかに断片的な事実しか掴んでいない。そこにおもしろさがある。
 しかし、「特定の誰かが状況をコントロールしているわけではないので、陰謀論は杞憂だ」と切って捨てるのもの問題である。作中のホームステッド法42(ユダヤ人を田舎に分散移住させる法)をウィンチェルがラジオで「強制収容所だ」とこき下ろすのに対し、親リンドバーグとなった兄は「強制収容所なんかないよ! 一言残らず嘘だよ、あんたら大衆をラジオの前に釘付けにするための駄法螺だよ!」と激昂する。実のところ、ホームステッド法24は、移住のための自発的意思を一応は保障しており、強制収容所とは異なる。ウィンチェルの批判は当たらないともいえる。しかしそこに罠があり、個別的には多少妥当でも、匿名的に行われる不正義があり、全体的な傾向にならないと認識できないときがある。誰かの陰謀というわけでもないのに次第に不正義がじわじわ進行しているとき、我々はなにができるのか? 本作はそう問いかけているように思える。

 ロスが示すひとつの回答は、最終章にある。ウィンチェル暴動からリンドバーグ失踪、新政権の発足にいたる政治上の過程が点描されたのち、章が替わって話が巻き戻り、反ユダヤ人暴動のなかで、孤立した知りあいのユダヤ人少年を主人公の一家が救出するエピソードが描かれる。大きな状況のうねりのなかで、半径5mのなかにいるものを救うとき、「わが家で起きていること」も「歴史」になったのだ。

あとがき30 奥書の1945:相田二郎写「書札次第」

 本ブログ初の、奥書記事である。

 相田二郎(あいだ, にろう, 1897-1945)は東京帝国大学史料編纂官の中世史家、古文書学者であり、佐藤進一の師匠格としても知られる。惜しくも終戦間近に夭逝したが、もし戦後も生きのびていれば、黒板勝美・辻善之助亡き後の史料編纂所を支える存在となっただろう。

日本の古文書〈上〉 (1949年)

日本の古文書〈上〉 (1949年)

 

 史料編纂所には、遺族から寄贈された相田二郎の臨写本がいくつか収められている。昔の学者は、みずから筆をとって現物そっくりの写本を作ることができたのだ。

 相田二郎書写本のなかに非常に印象的な奥書を発見したので紹介したい。書名は「書札次第」、底本は内閣文庫本という*1室町将軍の書札礼を記した書物である。画像史料編纂所が公開しているので、そちらも参照してほしい。

昭和二十年四月廿七日起筆、本所架蔵図書長野県下ヘ疎開搬出作業廿九日ヨリ始マリ五月二日終ル、コノ間余暇ニ書写ノ功ヲ遂グ、五月二日史料編纂 所ニ於テ録記ス

 おりしも大戦最末期、東京大空襲でも幸い無傷だった史料編纂所は、貴重な史
資料を疎開させるため急ピッチで作業を進めていた。そのなかで相田二郎はこの写本を作っていたのである。編纂所が内閣文庫から借りていた史料を、公務とは別に写していたのだろう。激務のなかでも、墨付全37丁を写 すのに1週間ほどしかかかっていない。私にはわからないが、写本作りはそんなスピードでできるのだろうか?

 そしてこの奥書を書いた翌月(6月22日)、疎開先の長野県で病にかかり、突如相田二郎は没する。享年49歳。死する年に出るはずであった原稿は、戦後、門人や元同輩の尽力により、大著『日本の古文書』上下巻として岩波書店から発刊された。

*1:国立公文書館デジタルアーカイブ内で検索した限りでは、底本を特定することはできなかった。

追記(8/25):国立公文書館で調査したところ、「文章之次第」(請求記号:153-0461)の臨模であることが分かった。筆跡から丁替わりまで忠実に書写している。調査に帯同せられた谷口雄太氏に感謝したい。

あとがき29 注の多い本:石井良助『新版 中世武家不動産訴訟法の研究』(高志書院、2018)

瀬野 昔の方の論文には、註はありませんものね。註ができたのは昭和に入ってからくらいでしょう? 註というのは読む人に一々後ろを見ろというもので失礼だと言われた年輩の先生もいらっしゃった。

―玉村 竹二, 瀬野 精一郎, 今泉 淑夫「禅宗史研究60年―上―(国史学界の今昔-28-)」、『日本歴史』(526)、1992

 瀬野(1931年生まれ)のいうことに反証を出すことは難しくないが、確かに昔の日本史学の論文に注は多くない。であれば、1938年に出たこの本は、さぞかし異様でかつ「失礼」な作品であっただろう。石井良助のデビュー作、『中世武家不動産訴訟法の研究』(初刊弘文堂書房)である。

 ”不動産訴訟”とは、史料用語でいう「所務沙汰」のことであり、所領などに関する鎌倉・室町幕府の訴訟制度を解明した巨編である。簡潔な本文に対して付く注の数は総計975。いずれも膨大な史料引用で満ちている。ここまで古文書を引用した研究書は、当時なかったのではないだろうか。

 そして、内容は体系的、網羅的、かつ詳細である。「中世の人間たちに、裁判はどうやったらいいのか、教えてやっているような本」(笠松宏至『徳政令岩波新書、1983)といわれるゆえんである。

徳政令――中世の法と慣習 (岩波新書)

徳政令――中世の法と慣習 (岩波新書)

 

  『中世武家不動産訴訟法の研究』は中世法制史研究の金字塔であり、現在でも現役の輝きを失っていない。これなくしては佐藤進一や笠松宏至のような後進が育つことはなかっただろう。

 ところが、この中世法研究の金字塔は、なかなか手に取れるものではなかった。

なぜか本書は一九三八年に弘文堂書房より刊行された後、いちども増刷、改版されることなく今に至っており、日本中世史研究者必備の書と言われながら、近年では古書店の店頭にすら見かけることのなくなった超稀覯本となっている。もはやベテラン研究者ですら、かろうじて図書館で借りたコピー製本を座右に於いているという状況であろう。

―清水克行「『新版 中世武家不動産訴訟法の研究』編集後記」

  私が見た限りでも、ある古本サイトで7万円で売られていた形跡があったのみで、市場に出てくることすらない貴重書だった。なぜ復刊しないのかと、つねづね悲憤慷慨していたところ、なんと高志書院によって、版面を組みなおした新版として出版されることになった。

新版 中世武家不動産訴訟法の研究

新版 中世武家不動産訴訟法の研究

 

 真に学術的な意味のある復刊を心から喜びたい。その上で、「中世の人間たちに、裁判はどうやったらいいのか、教えてやっている」石井説の良さも悪さも、それが後進に与えた影響も評価できるものと思われる。 

 

 

 

あとがき28 未発の可能性:『原平三追悼文集』(私家版、1992)

 年の瀬、京大前の古本屋で珍しいものを見つけた。
 戦前の、シリーズものの予約募集冊子である。日本史関係でいくつか買うことにしたが、まったく知らなかったシリーズものばかりでおもしろい。
 たとえば、蛍雪書院なる版元の、『歴史學叢書 日本研究篇』なる企画。

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全10巻のラインナップは以下の通りである。
(1)日本の文化:圭室諦成
(2)日本の政治:渡辺保ほか
(3)日本の外交:高橋磌一ほか
(4)日本の社会:風間泰男ほか
(5)日本の経済:中村吉治ほか
(6)日本の技術:遠藤元男ほか
(7)日本の思想:川崎庸之ほか
(8)日本の芸術:森末義彰ほか
(9)日本の近代:原平三ほか
(10)日本の現代:津吉英夫
 だが、全国の図書館の蔵書の状況を見るに、どうやらこれは2冊しか出なかったらしい。「豫約會員にだけ頒布致します」と謳っていたのに、これはちょっとひどい。残る8冊は、誰も手に取ることのない書物となったのだ。こうした未発の可能性を指し示す点に、予約募集の魅力があるのだろう。
 さて、第9巻として予定されていた『日本の近代』の総説は、原平三という人物に任される予定となっていた。

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これをみて私は、「ああ、原平三は、近代史家としてここまで期待されていたのだなあ」と腑に落ちた気持ちになった。原平三こそ、未発の可能性を体現する人物だからである。

 

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 私が原平三の名前を知ったのは、2016年秋の東大史料編纂所の大展示「史料を後世に伝える営み」である。「原平三日記 疎開関係手帖」というごく小さな古い手帳が出典されていた。1944年、戦火の拡大にともない、史料編纂所は所蔵資料の大規模な疎開を行う。そのきっかけとなったのが、原平三だったという。

 原平三は当時、文部省の維新史料編集官であり、郷里・長野県上田市に維新史料を疎開させる担当者であった。そのため史料編纂所にも疎開を奨めたのだという。
 原平三は1908(明治41)年生まれ。1933(昭和8)年に東大の国史学科を卒業し、以後、文部省維新史料編纂事務局に勤務しながら、維新史関係の論文を30編ほど発表した。
 原は疎開作業中に招集され、1945年、戦死する。ついに生前原は一冊の著作をも出すことがなかったが、彼の論文は、『幕末洋学史の研究』(新人物往来社、1992年)、『天誅組挙兵始末考』(同、2011年)のかたちで刊行されている。維新史料編纂会からは、戦後の明治史をリードする井上清、小西四郎、遠山茂樹、吉田常吉など錚々たる人物が出ている。本来ならそれに原平三が加わるはずだったと、宮地正人は『天誅組挙兵始末考』の解題で述べている。

 

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 惜しまれながらも若くして戦場で没した歴史学者、原平三。どのような人物だったのか気になっていたところ、高野山の奇傑・S博士から、思いがけず『原平三追悼文集』(私家版、1992)なる本を貸していただくことができた。

父は、太平洋戦争で、フィリピン・ミンダナオ島ダバオにて昭和二十年四月十九日戦死いたしました。

という「あとがき」の書き出しの通り、原の長女である小見寿氏がまとめたものである。

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大久保利謙、児玉幸多、小西四郎、遠山茂樹など、東大国史学科や文部省などで原と付き合いのあった歴史家たちが多数追悼文を寄せている。

丸坊主の原さんが京子ちゃんをだいて、哲ちゃんの手を引いて、突然私の家に見えた。頭に手をあてて「とうとう来たよ」と笑っていた。「こんな年輩の者まで来るのではね」といわれた。余りに淡々とした話しぶりに、私の方があせりにも似たものを感じた。後で考えれば、あきらめたということであったのかもしれない。今でも時たまこの時の原さんの淋しい笑顔を夢の中で見る。―遠山茂樹(二十三回忌寄せ書きより)

本書を一読して感慨深いのは、遺されたものたちの思いの強さと色褪せなさだ。二十三回忌、三十三回忌、四十七回忌と節目節目で旧友や家族が集い、原を追悼してきた記録が本書でひとつになった。未発の可能性、むしられた芽としての原がいかに大きな存在だったがわかる。

ライトニングトーク:「1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府」は なぜ消えたのか

忘年会で即興でライトニングトークをやらされることになったので、ブログで再現します。題して、「「1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府」はなぜ消えたのか」。

忙しい方は、スライド部分だけ飛ばして読んでもらっても大丈夫です。

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お話させていだだきます。

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鎌倉幕府の成立は1192年と、長らく学校の現場では教わってきました。

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ところが、最近では否定されているとよく言われていますね。

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教科書からも消えてしまいました。

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なぜか。今回はその背景を説明したいと思います。f:id:pino_quincita:20171210230353p:plain

まず、その前提を確認しましょう。1192年、源頼朝が「今日から幕府やります!」と宣言したわけではありません。

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1192年に起きたこと。それは、頼朝が征夷大将軍に任じられたことです。

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鎌倉幕府成立に関することがらを年表形式で振り返っておきましょう。

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問題となるのは、征夷大将軍になったことを、幕府の成立とみなしてよいか?ということになります。

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しかし新事実が明かされました。

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頼朝、途中で将軍辞めてます。

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by 朝井リョウ

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論拠となるのは、石井良助氏の論文「鎌倉幕府職制二題」です。

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論文の内容を要約すると、1194年ごろに頼朝が征夷大将軍を辞任していたことを論証したものです。

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さてここで湧いてくる疑問。

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頼朝は鎌倉幕府の創業者なのに、将軍辞めてどうなっちゃったの?引退しちゃったの?

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回答。頼朝は…

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将軍辞めても、鎌倉幕府のトップに立ち続けてます。

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つまり。

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頼朝にとって将軍の位は、あってもなくても大丈夫な称号だったのです。将軍になる前から武士たちを従えていますし、将軍を辞めてからも同様です。

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つまり。

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頼朝の将軍任官は、鎌倉幕府成立の指標とはいえないのです。

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ちなみに、幕府のトップになったら必ず征夷大将軍になるという認識は、少なくとも頼朝以降に成立します。

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つまり、このような論拠をもって、f:id:pino_quincita:20171210225247p:plain

1192年は、鎌倉幕府の成立年とはいえないとされたのです。

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ちなみに。

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論拠となった石井良助氏の論文「鎌倉幕府職制二題」が発表されたのは、驚くなかれ…

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今からはるか前の1931年です。

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ある説が提起されたのち、学界で認められ、教科書に載り、世の中に浸透していくまで80年かかるというのが、今回の事例から得られる教訓といえましょう。

 

付記:少し細かい根拠は以下の記事参照。最初は別のニュースサイトに書いた記事だったんだけど、勝手に転載されてますね。何なんでしょう。

1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府はなぜ定説ではなくなったのか?| MUSEY MAG[ミュージーマグ]

 

 

ジョジョ実写映画はけっこうおもしろかったです

ジョジョファンです。雑誌もコミックスも欠かさず買ってます。

 

第4部が実写映画化すると聞いて、超不安でした。「胃がケイレンし胃液が逆流した。ヘドをはく一歩手前さ!」って気持ちでした。

http://i.gzn.jp/img/2017/04/27/jojo-movie-trailer/00.jpg

warnerbros.co.jp

でも原作ファンなので劇場に行きました。そしたら、(まあ物足りないところもありますが)けっこうおもしろく観れました。

 

※「街並みがスペインすぎる」「仗助とか承太郎の髪型がヘンすぎる」という違和感をグッと呑み込んだのも大きい気がします。これが許せないひとはかなり苦痛だと思います。

 

ハードルは低かったとはいえ、意外におもしろかったのはなんでだろう?と考えてたのですが、その理由は、原作だと影の薄い東方良平(仗助のじいちゃん)とアンジェロ(殺人鬼のスタンド使い)のキャラが立っていたことにあるのではと思いいたりました。

 

東方良平は、長年街を守ってきたベテラン警官ですが、アンジェロに殺されてしまいます。そして仗助が「じいちゃんの代わりにこの街を守る」と決意させる、重要な役割をになっています。ところが原作だと、東方良平の描写はとても少なく、仗助が主人公のストーリーを開始するためだけにその場で作ったという感じで、あんまり思い入れできないキャラでした。

 

※余談ですが、荒木がストーリーの都合上作った「人情おじいちゃんキャラ」としては、他に『バオー来訪者』の六助じいさんが思い浮かびます。読むたびに白々しいな〜〜と感じてました。

 

映画版での東方良平は、街の不良に「ゴミくらい自分で捨てんか」と小言をいいながら、「また何かあったら連絡しろよ」と声をかける…みたいに、街を見守っているとか、家族を大事に思っている具体的な描写がいくつも追加されていました。國村隼の演技力もあいまって、とても魅力的なキャラクターになったと思います。承太郎よりも印象に残ってるかもしれません。「あ〜、この映画って、東方良平の「黄金の精神」が仗助に受け継がれるってのがテーマなんだな〜」と素直に納得できる、重みのあるキャラになっていました。

 

また原作のアンジェロは、感情の起伏の大きさで何をしでかすかわからないシリアルキラーぶりを印象づけていました。一方映画版では、オムライスを解剖するように食べるとか、じっとりした演出の積み重ねで「こいつヤバイな…」と思わせるキャラになっています(山田孝之も上手かったです)。テンションの高い原作のアンジェロとはまた違う解釈でキャラが作られていて、それなりに成功してたと思います。

 

ジョジョの原作(とくに昔の)は、セリフや感情の過剰さでキャラ付けする傾向があります。映画版の東方良平やアンジェロの滲み出るような描写によるキャラ付けは、ジョジョっぽくないといってしまえばそれまでですが、実写映画らしさを活かした演出になっていたと思います。前半をひっぱるこの2人をちゃんと描いたのが、作品が意外におもしろかった理由だと私は考えています。

あとがき27 バブル期の日本人がどれだけバグってたか見てほしい: 叢書「思想の海へ [解放と変革]」刊行のことば(社会評論社、1989)

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 自分は中高生のころ岩波文庫の末尾にある岩波茂雄の(実は三木清の草なんだって)「読書子に寄す―岩波文庫発刊に際して―」が好きで好きで、何度も読み返して、「読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。」の文に動かされ、「うおお買わなきゃ」と書店に走り、「携帯に便にして価格の低きを最主とす」の言に化されて、新たな文庫本をわざわざポケットにねじ込んだりしたものだった。

 それはさておき、この「読書子に寄す―岩波文庫発刊に際して―」にせよ、○○文庫や○○新書などシリーズものの「刊行のことば」は、版元の意気込みとともに、図らずも時代を映す鏡になっていることが多い。岩波文庫なら、円本の流行と戦前の教養主義を、青版岩波新書(1949)なら敗戦後の民主化を、というように。

 今回紹介するのは、1989年、バブル真っ盛りに書かれた叢書の「刊行のことば」だ。社会評論社という出版社があった。今でもある。このとき創設20周年ということで、「思想の海へ [解放と変革]」全31巻という一大叢書を企画した、ということだ。ともかく、バブル期のバグった感じが全面に出ているので、見てほしい。

刊行のことば

 江戸期から昭和・戦後期まで三百年間、日本人自身が時代の最先端において手作りしてきた〈生ける思想〉の集大成(アンソロジー)をおとどけします。
 私たちは何者であったのか? この世紀末に何者であるのか? 二一世紀に向けて私たちは何者になろうとするのか?
 ジャパン・アズ・ナンバーワンの極頂に立って、虚空に向けてジャンプしなければならないすべての日本人に、この“聖歌”をリレーします。
 未来に向かって漕ぎ戻れ、この滾滾たる思想の水脈を!七色の虹(レインボー)を二一世紀の宇宙に架けよう!江戸は黄(イエロー)、明治・大正は橙(オレンジ)、文化は藍(インディゴ)、反天皇制は赤(レッド)、フェミニズムは紫(パープル)、周辺は緑(グリーン)、昭和は青(ブルー)……
 虹立ちぬ、いざ生きやめも!
 ポスト昭和の到来を画する、気鋭の編集・スタッフによる巨大な紙碑(モニュメント)。現代のシャープなズーム・アップ。社会評論社二十年にわたる蓄積を世に問う記念出版。
 世紀末危機のただなか、二一世紀へと向けて、思想を持たなければ生きられない時代が到来します。私たちの一人ひとりが自らを解き放たなければならない、生き方を変えなければならない。この近過去の日本人自身の結晶を〈生ける糧〉として。
 一九八九年十月

 

 たいへん険しいものがある。エズラ・ヴォーゲルにもこの気持ちを分けてあげたい。

 ちなみにこの叢書は、近世・近代日本の思想的な文章をテーマごとに集めたアンソロジーで、各巻のタイトルも、『島々は花綵―ヤポネシア弧は物語る―』(25巻)、『方法の革命=感性の解放―徳川の平和(パックス・トクガワナ)の弁証法―』(2巻)、『フェミニズム繚乱―冬の時代への烽火―』(23巻)あたりは通底する言語センスを感じる(なお巻によって、内容の出来不出来の差はけっこうあるらしい)。

 以上の「刊行のことば」をツイッター上で放流したところ、それなりに反響があった。

 やはり80年代ニッポンのノリはこんなんだったらしい。

 また、このころ話題になっていた、メティ(笑)こと経済産業省が直々に作った「日本の伝統的な価値観をまとめたコンセプトブック」であるところの『世界が驚くニッポン!』が、「日本スゴイ!」の共通点から連想・比較されることも多かったようだ。

  ご指摘の通りで、官製「日本スゴイ」がこの味を出せるとは思えないし、この「刊行のことば」からは、なにかを咀嚼し内面化しないと出ない凄みがある。

 ちなみにこの叢書の徳をひとつ挙げておくなら、予定していた全31巻が、すべて刊行されていること(NDL-OPACで調べた限り)―これは素直にスゴイ!と言いたい。