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あとがき愛読党ブログ

本文まで読んでいることを保証するものではありません

あとがき6 あとがきはなぜ必要なのか: 小熊英二『単一民族神話の起源』(新曜社、1995年)

 あとがきは、本当に必要なのだろうか?
 (特に)人文系学術書の、長くて、情緒纏綿で、多分に私事に渉るあとがきは、たとえば理系の人士の目にはいかに映るのだろうか。

 小熊英二が最初の単著に書いたあとがきは、それへのアンチテーゼであったのだろう。

(…)紙面は著者だけのものではなく、編集・校正・装幀・営業・印刷製本など多くの人びとの労力と資源をついやすことで読者に提供される公共の場である。それゆえ、読者に関係のない、私の個人的謝意に使用することは控えさせていただいた。ただ、そうした方がたのご厚意がなければ本書がありえなかったことだけは、とくに記しておきたい。

小熊英二単一民族神話の起源』(新曜社、1995年)

単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜

単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜

 

  かつて出版社に勤務していた小熊の言はなかなか重い。その次の著書でも

公共の紙面に私事を書くことは好まないが、完成にいたるまで、また出版にいたるまでにご教示をいただいた方がた、お世話になった方がたに感謝を申しあげたい。
小熊英二『〈日本人〉の境界』(新曜社、1998年)

「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで
 

 と、さらに簡潔にその理念が述べられている。

 確かに筋の通った指摘である。謝辞と称していきつけの飲み屋について延々と書かれているあとがきを見て閉口するような経験が私にもある。
 学術書ではないが、ライトノベルのあとがきはひどい。ラノベは一冊も読んだことがないが、故あって国内刊行のラノベのあとがきを延々と読むことがあった。まさにあれは「私事」のダダ漏れの感がある。
 ラノベはまあ措いておくとして、学術書、否学問というものは反証可能性(誰がやっても同じ結論に至れる)が肝なのだから、「私事」を持ち込むべきでないという主張は十分理がある。

 色川大吉が自著のあとがきに書いた一節は、そのような葛藤を素直に表したものではないか。

「まえがき」も「あとがき」もない本にしたかった
色川大吉『明治の文化』(岩波書店、1970年)

明治の文化 (岩波現代文庫)

明治の文化 (岩波現代文庫)

 

  このようなストイックな姿勢には自分としても心動かされる。しかし、私はあえてあとがきの必要性を説きたい。

 あとがきはなぜ必要なのか?それは、「経験」(「私事」)と「学問」との関係にわたる問題なのだ。
 マックス・ウェーバーの議論を引くまでもなく、いかに「客観的」な学問上の考証も、「主観的」な関心や観点なくしては出発できない。関心や観点は畢竟、生い立ち、家庭の状況、住んだ土地、時代との出会いなど、学者の個人的な経験に根差す。

※ただそれが、学問は所詮主観的であって客観性は担保できない、とはならない。このような「柔らかな客観性」については、遅塚忠躬『史学概論』(東京大学出版会、2010年)参照。

史学概論

史学概論

 

 そのような書き手の経験を盛り込めるのは、あとがきが最も適している。

 関心、観点の背景が明らかになっていない学術書は、私にとっては、のっぺらぼうのようでどこか落ち着かない。経験が学問にまったく反映しないということはありえない。あとがきは、著者の成分表示なのだと思う。あとがきのない本は、それが隠蔽されているように私は感じる。
 無論、経験が学問の領域へとズルズルベッタリに入りこんでいるものは良くない。私の考える優れたあとがきとは、経験と学問とが緊張感をもって切り結んでいる様子を見せてくれるものだ。

 冒頭で紹介した小熊英二は、その次の著書ではやや姿勢を改める。2002年に出た『〈民主〉と〈愛国〉』のあとがきで小熊は、自分の父が関わった裁判について記述するのだ。戦後シベリアに抑留された小熊の父・小熊謙二氏は、同じく元日本兵としてシベリアに抑留された呉雄根*1氏(在満洲の朝鮮系)に対する戦後補償を求め、共同原告として日本政府を訴えたのだという*2。それを間近に見た体験(私事!)について小熊はこう書く。

とはいうものの、こうした事件が本書や前著を書く動機になったのかといえば、意識的にはそういうつもりはなかった。上記の事件の経緯に、自分の研究と重ねる部分があることについても、「偶然の一致」という感じしかしない。人間は「パブロフの犬」ではないから、ある事件があれば直接にその反応が現れるほど単純ではない。また裁判や捕虜体験は、あくまで基本的には父の問題であって、私はそれに関係したにすぎない。この訴訟が私の研究の背景であるなどと単純化して語られれば、私は違和感を禁じえないし、父も意外に思うだけであろう。
 しかし一方で、私は本書で数多くの戦後知識人たちの思想を読んだあげく、人間は結局のところ、自分の動機を自分で理解するなど不可能なのだという結論に達した。私は今もって、研究の動機については、「自分でもよくわからない」と答えるしかない。しかし上述のような父との関係のなかで生きてきたということが、何らかの形で自分の研究に影響しているということも、自分ではわからないが、まったく考えられないことでもあるまい。あとは読者の方々が、ご自由に判断していただければよいと思う。
小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社、2002年)

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

 

 学問が経験にすべて還元されるわけではないが、経験抜きの学問はありえない―小熊のようなどっちつかずの態度は、知的誠実性のひとつの表れであるように思える。

 このような経験と学問とが葛藤する汽水域として、あとがきは必要なものだと私は考える。


******

以下、余談。

 かの丸山眞男が、れっきとした原爆の被害者(1945.8.6、広島市宇品での軍務中被爆)であることは、意外にそこまで知られていない。その理由のひとつは、丸山自身がその体験をあまり書いておらず、被爆者手帳も申請しない構えをとっていたことにあるだろう。
 丸山自身も1967年の対談中で

いま顧みて、一番足りなかったと思うのは、原爆体験の思想化ですね。(…)そういう意味での原爆体験ってものを、私が自分の思想を練り上げる材料にしてきたかっていうと、していないですよ。その点がね、自分はいちばん足りなかったと思いますね

と回顧している。
 先日「総特集 丸山眞男」として公刊された現代思想 8月臨時増刊号』(青土社)での川本隆史苅部直との対談で、この丸山の“原爆体験の不徹底化”問題が長い尺をとって討議されている(以下、これにかかるものはすべてこの対談から引用、重引)。

  丸山自身は、その体験を学問化できなかったと告白しているが、「三たび平和について」(1950年)など戦後の論文のいくつかには原爆体験の影響を見て取れるということは、川本・苅部両氏の一致する見解だ。

 ではなぜ丸山は原爆体験を語りたがらなかったのか。

私は原爆体験をすでに思想化していると思うほど不遜ではありません。小生は「体験」をストレートに出したり、ふりまわすような日本的風土(→ナルシシズム!)が大きらいです。原爆体験が重ければ重いほどそうです。もし私の文章からその意識的抑制を感じとっていただけなければ、あなたにとって縁なき衆生とおぼしめし下さい。

―1983年7月の私信

 このようなスタンスは、「実感信仰」と「理論信仰」双方への安易な寄りかかりを拒否し、その架橋を模索する論文「日本の思想」(初出1957年)に通じるものがある。

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

 

 これらを総括するものとして最後に、この対談中の発言(苅部)を引用し、結びにかえたい。

理論と実感との関係も、むずかしいところですね。実感のなかにとどまっているだけでは普遍的な議論はできませんし、逆に実感ぬきの抽象的思考の産物は、どこかで現実から遊離して説得力を失ってしまう。そのバランスをとりながら実感をすくいあげ、それを外から眺め直すという作業をくりかえすことが大事なんでしょう。

 

以下、私事。
 ここ数年で日本社会ではエラいことが続けて起こって、いくつものクリーヴィッジが生じた。自分はそれを体験しながら、思考の次元できちんとこれらに向き合ってこなかったことに、少しくひっかかりがあった。
 しかし、オンタイムでなくとも、丸山のように、遅刻しながら自分のペースでやっていけばよいのだと、今回この記事を書きながら思った次第だ。

 あとがきについて書きながら、あとがきのような文章になってしまい、大変恥ずかしい。
 自戒として最後に、M. ウェーバーの名言を引いておこう *3

何をも為さずしてあとがきを書きたがる者こそ、真の》Dilettant《「ディレッタント」である。

 

(了) 

 

*1:氏の証言は、NHKの戦争証言アーカイブスで視聴できる。http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100678_00000

*2:その判決は、「日本の国際法判例」研究会のウェブサイトで閲覧できる。http://www.eonet.ne.jp/~ntanaka/2000-18.html

*3:これは当然嘘である。