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あとがき3 【ゲスト投稿】お星様の話:喬秀岩『義疏学衰亡史論 東京大学東洋文化研究所研究報告』(白峰社、2001年)

 今回はなんと、いきなりゲスト投稿である。わが大先輩、二歩氏からの玉稿を賜った。「第三回目にして!?」と思われるかもしれないが、このまま本ブログをあとがき公共圏として育てていきたいので、どしどし投稿してほしい。それではご賞味あれ!

 

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義疏學衰亡史論 (東京大學東洋文化研究所研究報告)

義疏學衰亡史論 (東京大學東洋文化研究所研究報告)

 

 

 

  

  或る人の説に曰く:「學問的真理の無力さは,北極星の『無力』さと似ている。北極星は個別的に道に迷った旅人に手をさしのべて,導いてはくれない。それを北極星に期待するのは,期待過剰というものである。しかし北極星はいかなる旅人にも,つねに基本的方角を示すしるしとなる。旅人は,自らの智惠と勇氣をもって,自らの決斷によって,したがって自らの責任において,自己の途をえらびとるのである。北極星はそのときはじめて『指針』として彼を助けるだろう。『無力』のゆえに學問を捨て,輕蔑するものは,一日も早く盲目的な行動の世界に,感覺だけにたよる旅程に投びこむがよい。」 
  學問が,時とともに遷り,人とともに變わるものであることを思えば,學問的真理などというものは本來有り得ないものであり,有るとすればそれは,その人にとっての學問的真理とでも言うしかないものである。この人は,この人にとっての學問的真理を尊重し,指針として仰ぐことを我々に勸めているのだが,それは譬えて言えば,この人の門をくぐらなければ見えないこの人にとっての北極星のことであり,何のことはない,この人の私塾の天井に幻燈で映し出された北極星ということになる。進歩的な奴隷主は,奴隷たちに,主體的に生き生きと生きよ,と敎え諭す。この人の私塾の建物の中で,天井の北極星を指針と仰ぎながら,自らの智惠と勇氣をもって,自由にしかも安全に自己の途を歩むがよい,とこの人は我々に勸める。ある種の人々にとって,こういう開明的な奴隷主の下で「自由な」奴隷として生きることは非常に快適であり得ることを私は知っているが,私自身はまっぴらご免蒙る。しかし,この惡賢い奴隷主は,私のような人間ははなから相手とせず,おまえはとっととこの「樂園」から出て行け,そして野垂れ死ぬがよい,と捨て鉢な呪詛の言葉を浴びせかけるのだ。勿論,それは奴隷たちに聞かせる爲の言葉でもある。 
  私には,私だけのお星様が有る。「北極星」のような物物しい名前は無いかわりに,遙かな空の上に清らかに,美しく,だが少し寂しそうに輝くお星様。決して私を見捨てることなく,いつも私に光を與えてくれるお星様。私はいつも大地に泥だらけのあしを踏ん張りながら,そのお星様を見上げて,生きる力と希望を與えられているのだ。奴隷たちに圍まれて安穩な「樂園」で欺瞞の人生を送るよりも,私は私のお星様を見つめながら,お星様に見守られながら,誰もいない荒野に静かに息を引き取りたい。 
  曾て友人が閑章を一枚彫ってくれた。「自用自專反古之道」という。その言葉,私にとっては少しも不吉ではない。 
                        公暦二千年五月三十一日自識 

 


 以上は、喬秀岩『義疏学衰亡史論』の序文である。あとがきブログに序文を掲載するのは邪道かもしれないが、この名文を、「本文の前に書かれているから」というだけの理由で排除するのは、あまりに惜しい。そこで、ここで敢えて紹介させて頂きたい。

 喬秀岩氏は、1994年に東京大学大学院博士課程を単位不取得退学し、1999年に北京大学で博士号を取得。2000年から東京大学に呼び戻されて東洋文化研究所助教授に着任したが、2004年に再び北京大学に戻って副教授となり、現在に至る。一時期は東京大学准教授と北京大学副教授を兼任し、両国を半年ごとに行き来して教鞭を執っていたこともあった。
 本書は、喬氏が北京大学に提出した博士論文『南北朝至初唐義疏学研究』の日本語訳版である。訳者は喬氏本人。そもそも、喬氏は日本人であり、「喬秀岩」というのはペンネームである。日本人なのに中国名で学術活動を行い、そして中国語での執筆を好む、変人である。日本の学術誌に中国語で投稿し、それを別の日本人が翻訳して掲載するということもあった。そうとは知らない日本人研究者が、学会後の懇親会で本人を前にして、「中国人でも最近は喬秀岩という学者がいて、なかなか優れた論文を出している」と話していたこともある。それを聞きながら、本人はにやにや薄ら笑いを浮かべていた。
 『南北朝至初唐義疏学研究』は、北京大学で学位を取得するために提出したのだから、中国語で執筆したのは当然である。しかし、現代中国語ではなく古代中国語、要するに漢文を使用している。戦前の漢学者は確かに漢文で論文を執筆していたが、今どきは中国人でも珍しい。日本人である喬氏が古代中国語によって論文を作成し、それを本家中国の最高学府に提出して学位を認められたというのであるから、どれほど凄まじいかは想像できるだろう。なお、昨年、古代中国語のまま台湾で出版されたので(『義疏学衰亡史論』、万巻楼図書、2013年)、もし機会があったら、手に取って眺めてみていただきたい。
 日本語版『義疏学衰亡史論』は極めて平易な日本語で書かれている。しかし、内容は難解である。南北朝隋唐期に編まれた義疏・正義(要するに儒教経典の解釈についての仔細な議論)の性質について、大胆な仮説と緻密な解読によって論じている。一般の日本人にとって、およそ縁遠い分野の話ではあるのだが、この著作に感動した女性(名古屋在住・縦ロール、いわゆる「名古屋嬢」)が新幹線に乗って東京まで会いに来たこともあった。名著である。

 さて、前置きが長くなったが、肝心の序文についての説明に移りたい。

 冒頭で「或る人の説に曰く」として引用される「學問的真理の無力さは……」というのは、丸山真男『自己内対話』の一節である。そして、丸山氏が「北極星」と形容する「學問的真理」を、喬氏は「本來有り得ないもの」と一刀両断に切り捨てる。更には「この人にとっての學問的真理」、「人の門をくぐらなければ見えないこの人にとっての北極星」、「この人の私塾の建物の中」の「天井の北極星」と追い討ち。そして、返す刀で、丸山氏本人に対しても「進歩的な奴隷主」「開明的な奴隷主」という批判を浴びせている。
 この序文は、原作の博士論文『南北朝至初唐義疏学研究』には見えない。つまり、日本語版出版にあたって敢えて付されたもので、日本人に向けて書かれたものである。また、喬氏がかつて「単位不取得退学」した東京大学中国哲学研究室の某教授は丸山真男の愛弟子であり、この『義疏学衰亡史論』が東大の助教授に着任する際の「研究報告」として出版されたという背景も、スリリング。要するに、「オレは色々な人に頼まれたから東大などというところに戻って来たが、お前らの学問を認めたわけじゃないんだぜ」というメッセージが垣間見える。
 一応、本文との関連もある。本書で分析されている南北朝時代の皇侃や唐代の賈公彦といった人物の学術は、経書の文言を解読するという点では清朝考証学に遠く及ばないし、そもそも経書聖典と認識しない現代人にとっては滑稽な営みにすら見える。しかし、当時においては、皇侃や賈公彦の注釈学こそが一流の学問であり、その仕事をないがしろにして良いものではない。たとえ、『礼記』や『周礼』といった儒教経典の原初の形が発掘されて、皇侃や賈公彦の解釈が全く的外れなものであったことが分かったとしても、その学術の価値は全く減らないのである(このことについては、喬氏が数年前に上梓した『論語――心の鏡』(岩波書店、2009年)で論じられている)。ここで、丸山氏の謂う「学問的真理」「北極星」を批判して、「學問が,時とともに遷り,人とともに變わるものである」と述べるのは、皇侃や賈公彦への援護射撃とも謂えるだろう。皇侃にしても、賈公彦にしても、丸山氏にしても、いずれの学術も絶対的なものではないのである。

 

 

論語―心の鏡 (書物誕生-あたらしい古典入門)

論語―心の鏡 (書物誕生-あたらしい古典入門)

 

 

 


 そして、「學問が,時とともに遷り,人とともに變わるものである」という言葉は、喬氏自身にももちろん当てはまる。喬氏はそれを自覚した上で、「私には,私だけのお星様が有る」「私は私のお星様を見つめながら,お星様に見守られながら,誰もいない荒野に静かに息を引き取りたい」と、ややメルヘンチックな口調で、自らの学術の相対性と、それを良しとする信念をつづっている。およそ学術著作の序文とは思えない文体である。

 なお、最後の段落の「自用自專反古之道」というのは、『礼記』中庸の言葉である(「愚而好自用、賤而好自專、生乎今之世反古之道、如此者、烖及其身者也(暗愚なのに活躍しようとする者、卑賤なのに好き勝手にしようとする者、今の時代に生まれながら古代の道に立ち返ろうとする者。これらの者たちには、災禍が及ぶのだ)」)。「私にとっては少しも不吉ではない」というのは、まさに喬氏の反骨を端的に示している。「楽園」を追い出されようとも、災禍を身に受けようともかまわないから、とにかく今の時代でもてはやされる「奴隷主」の定めた「北極星」には従わないということである。
 また、識語に「公暦二千年」として、元号を用いないのにも、喬氏の本領が発揮されていると言えるだろう。喬氏が師と仰ぐ数少ない日本人の一人である戸川芳郎氏も、学生時代に「学部事務の窓口へ、公暦一九五二年と届出て、何度かつき返された」らしい(戸川芳郎「元号平成考」、『二松』第十一号、1996年)。

 以上の如く、この序文には、喬秀岩氏の信念が高らかと表明されている。名文である。(二歩)