ライトニングトーク:「1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府」は なぜ消えたのか
忘年会で即興でライトニングトークをやらされることになったので、ブログで再現します。題して、「「1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府」はなぜ消えたのか」。
忙しい方は、スライド部分だけ飛ばして読んでもらっても大丈夫です。
お話させていだだきます。
鎌倉幕府の成立は1192年と、長らく学校の現場では教わってきました。
ところが、最近では否定されているとよく言われていますね。
教科書からも消えてしまいました。
なぜか。今回はその背景を説明したいと思います。
まず、その前提を確認しましょう。1192年、源頼朝が「今日から幕府やります!」と宣言したわけではありません。
1192年に起きたこと。それは、頼朝が征夷大将軍に任じられたことです。
鎌倉幕府成立に関することがらを年表形式で振り返っておきましょう。
問題となるのは、征夷大将軍になったことを、幕府の成立とみなしてよいか?ということになります。
しかし新事実が明かされました。
頼朝、途中で将軍辞めてます。
by 朝井リョウ
論拠となるのは、石井良助氏の論文「鎌倉幕府職制二題」です。
論文の内容を要約すると、1194年ごろに頼朝が征夷大将軍を辞任していたことを論証したものです。
さてここで湧いてくる疑問。
頼朝は鎌倉幕府の創業者なのに、将軍辞めてどうなっちゃったの?引退しちゃったの?
回答。頼朝は…
将軍辞めても、鎌倉幕府のトップに立ち続けてます。
つまり。
頼朝にとって将軍の位は、あってもなくても大丈夫な称号だったのです。将軍になる前から武士たちを従えていますし、将軍を辞めてからも同様です。
つまり。
頼朝の将軍任官は、鎌倉幕府成立の指標とはいえないのです。
ちなみに、幕府のトップになったら必ず征夷大将軍になるという認識は、少なくとも頼朝以降に成立します。
つまり、このような論拠をもって、
1192年は、鎌倉幕府の成立年とはいえないとされたのです。
ちなみに。
論拠となった石井良助氏の論文「鎌倉幕府職制二題」が発表されたのは、驚くなかれ…
今からはるか前の1931年です。
ある説が提起されたのち、学界で認められ、教科書に載り、世の中に浸透していくまで80年かかるというのが、今回の事例から得られる教訓といえましょう。
付記:少し細かい根拠は以下の記事参照。最初は別のニュースサイトに書いた記事だったんだけど、勝手に転載されてますね。何なんでしょう。
1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府はなぜ定説ではなくなったのか?| MUSEY MAG[ミュージーマグ]